正中の変 後醍醐天皇の鎌倉幕府打倒計画 1324年

2023年4月30日

1324年、後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を企てたが、事前に発覚して失敗した事件。

日野資朝 Wikipediaより

1318年に即位した後醍醐天皇は、天皇自らが政治を行う親政を実現するために、側近の参議日野資朝、蔵人頭日野俊基らの公家や土岐頼兼、多治見国長らの武士と謀り、密かに討幕計画をすすめた。

しかし、計画が事前にもれて失敗、土岐、多治見は京都で討たれ、資朝は、佐渡に配流された。後醍醐天皇は自らの関与を否定し、鎌倉に弁明の使者として権大納言万里小路宣房を送った。

幕府は宣房の弁明を受け入れ、後醍醐天皇については不問に付し、日野俊基も許された。幕府は、朝廷に対する絶対的な優位を確信していたため、天皇をはっきりと断罪することはなかった。しかしこのことが再度の蜂起である元弘の変、さらには幕府滅亡へと繋がっていくことになる。



鎌倉

Posted by kojiro