後鳥羽上皇 承久の乱前夜

2023年4月30日

治天の君・後鳥羽上皇と、東国で力を増す鎌倉幕府との対立が激しさを増していた。

後鳥羽上皇 Wikipediaより

鎌倉幕府開府後の日本は、東国を中心に守護・地頭を置いて各地を支配する鎌倉幕府と、西国に依然として力を持つ朝廷との二頭政治状態にあった。朝廷の収入源は諸国の膨大な荘園からの年貢だったが、幕府の地頭が置かれたあとは、年貢の未納問題など北条氏との間で、たびたび対立が起こっていた。

承久の乱の主役、後鳥羽上皇は、平氏と運命を共にした安徳天皇の異母弟であり、後白河上皇の孫にあたる。1198年に土御門天皇に譲位した後、3代23年間にわたり、上皇として院政を行い、朝廷内で絶大な権力を振るった。

後鳥羽上皇は、歌も楽器も蹴鞠も一流の腕前で、さらに新古今和歌集を編纂したことでも知られる。
また、武芸にも優れ狩りや流鏑馬を行い、北面の武士に加え、西面の武士を創設し、軍事力も強化した。

文武両道で「治天の君」と言われた後鳥羽上皇は、東国で力を増す鎌倉幕府と対立する。3代将軍実朝の時には、幕府との関係はいったん落ち着いたが、実朝暗殺後、再び険悪になっていた。

1219年、実朝が暗殺され、源氏の血筋が途絶えると、幕府には将軍にできる人物がいなくなった。そこで北条氏は、天皇家の人物を将軍として迎え入れようと後鳥羽上皇に願い出る。

上皇は交換条件として、義時が守護を務める摂津国の二つの荘園における地頭職を撤廃すること等を要求した。義時はこれを退け、交渉は決裂する。
その後、幕府は摂関家から将軍を迎え入れ、4代将軍(藤原頼経)とした。

このような北条氏の振る舞いに後鳥羽上皇はついに、鎌倉幕府執権北条義時に対して討伐の兵を挙げた。



鎌倉

Posted by kojiro