日独伊三国防共協定 ソ連を中心とする国際共産主義運動への対抗 1937年 

2023年5月2日

1936(昭和11)年、ソ連を中心とする国際共産主義運動への対抗を掲げて、日本とドイツは日独防共協定を結んだ。翌年イタリアがこれに参加し、日独伊三国防共協定が締結された。

日独防共協定に調印するリッベントロップとそれを見守る武者小路公共 Wikipediaより

こうして国際的孤立を深めていた3国は反ソ連の立場で結束し、枢軸陣営を形成した。

1930年代半ば、第一次世界大戦後の秩序(ヴェルサイユ・ワシントン体制と呼ばれる)が崩壊しはじめていた。

日本が満州事変(1931年)を起こし日中戦争に突入した頃、ドイツではヒトラーが登場(1933年)し、全体主義体制を確立した。

ヒトラーは、ヴェルサイユ体制の打破を唱えて国際連盟から脱退し、大戦の敗戦以来禁じられていた再武装に踏み切った。

イタリアではムッソリーニによる一党独裁が確立され、1935年のエチオピア侵攻をきっかけに国際連盟とも対立した。1936年にスペイン内戦が起こると、ドイツ・イタリア両国は連帯を強めて枢軸を形成した。

一方ソ連は、第一次5か年計画(1928~32年)によって重工業化とともに農業集団化を推し進め、急速に国力を高めた。

さらには、アメリカによる承認(1933年)、国際連盟加入(1934年)等、国際社会におけるソ連の地位は向上した。

こうした情勢のなか締結された日独伊三国防共協定は、ソ連だけでなく米・英・仏などの列強諸国を刺激し、両陣営の対立が深まっていくことになる。

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昭和前半

Posted by kojiro