天皇機関説事件 美濃部達吉 1935年

2023年5月2日

1935(昭和10)年、美濃部達吉の天皇機関説が、国体に反する学説として軍部や国家主義団体などから激しく攻撃された。

美濃部達吉 Wikipediaより

天皇機関説とは、統治権の主体は法人としての国家であり、天皇は国家の最高機関として憲法の定めにしたがって統治権を行使すると説くものである。

憲法学者で貴族院議員でもあった美濃部達吉らが唱え、大日本帝国憲法下で30年近くにわたって憲法学の通説とされた。

満州事変以後、共産主義やマルクス主義だけでなく、自由主義の思想や学問に対する取り締まりも、一層厳しくなった。

1933(昭和8)年、京都帝国大学教授の滝川幸辰は、その自由主義的な刑法学説が伝統的な家族の道徳に反すると非難されて休職処分となった(滝川事件)。

次いで1935(昭和10)年には美濃部達吉のいわゆる天皇機関説が、国体に反するとして軍部や国家主義団体などから激しく攻撃された。

岡田啓介内閣は公式に天皇機関説を否認して「天皇は統治権の主体である」という国体明徴声明を出し、美濃部は著書を発売禁止とされ、貴族院議員辞任に追い込まれた。

昭和前半

Posted by kojiro