飛鳥

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飛鳥時代587年に、仏教の崇拝と皇位継承をめぐって崇仏派の大臣・蘇我馬子と排仏派の大連・物部守屋が争った内乱のこと。

用明天皇(聖徳太子の父)が亡くなったあと、天皇後継問題が起こると、最有力候補であり物部が推していた穴穂部皇子が蘇我方に ...

飛鳥

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663年、百済救援のため出兵した白村江で日本・百済連合軍が唐・新羅連合軍と戦い、敗れた合戦。

7世紀の朝鮮半島は新羅・高句麗・百済の三国が並び立っていた。

654年、即位した新羅の武烈王は、唐の援軍を得て、朝鮮半島の統一を企 ...

飛鳥

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645年、中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我氏を打倒して始めた政治改革。

当時、蘇我氏が大王(天皇)家をもしのぐ勢力であったため、645年、中大兄皇子は中臣鎌足、蘇我倉山田石川麻呂らとともに蘇我氏を倒した。

こうして蘇我氏の強大な ...

飛鳥

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592年、蘇我馬子が自身に反意を持つ崇峻天皇を暗殺した。絶大な馬子の権勢を象徴する事件。

古来、暗殺されたと思われる天皇は何人かいるが、臣下によって暗殺された天皇は、記録上、崇峻天皇のみである。

蘇我馬子は敏達・用明・崇峻・ ...

飛鳥

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672年、天智天皇の死後、弟の大海人皇子と息子の大友皇子が後継者の地位を争った古代最大の争乱。

当時は皇位継承について、天皇の子が第一位の継承者という決まりはなく、むしろ慣例的には同母兄弟の方が優先されていた面があった。慣例に従うならば ...

飛鳥

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645年、中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌足(後の藤原鎌足)らが蘇我家を滅ぼしたクーデター。

この時までに、蘇我氏は馬子、蝦夷、入鹿と3代にわたって大きな権勢を振るい、皇位継承にも深く介入していた。

蘇我馬子は崇峻天皇を弑 ...

飛鳥

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643年、蘇我入鹿が政敵の山背大兄皇子を殺害すべく挙兵し、皇子のいる斑鳩宮を襲撃した。襲われた皇子は戦いを避けて斑鳩寺に入り、家族とともに自害した。

山背大兄皇子は、聖徳太子の息子で、母は蘇我馬子の娘・刀自古郎女で、蘇我入鹿とは従兄弟に ...

飛鳥

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607年、聖徳太子は中国の文物・制度を摂取する目的で、小野妹子らを大使として隋に派遣した。

581年中国において隋による統一国家が実現し、東アジアの情勢が変化したのを契機に、日本は倭の五王以来約1世紀の間中絶していた中国との通交を再開し ...