蘇我馬子、崇峻天皇を暗殺 592年

2023年4月30日

592年、蘇我馬子が自身に反意を持つ崇峻天皇を暗殺した。

蘇我馬子 Wikipediaより

絶大な馬子の権勢を象徴する事件。

古来、暗殺されたと思われる天皇は何人かいるが、臣下によって暗殺された天皇は、記録上、崇峻天皇のみである。

蘇我馬子は敏達・用明・崇峻・推古朝の大臣である。572年、敏達天皇即位に伴い大臣に任命されている。

用明朝には物部守屋が穴穂部皇子を擁立しようとするのに対抗して、豊御食炊屋姫(のちの推古天皇)を奉じ、穴穂部皇子を殺させた。さらに用明天皇の没後には物部氏と戦い、守屋ら物部一族を滅ぼし、崇峻天皇をたてて独裁的な権力を握った。

崇峻天皇は馬子に支援されて天皇になったものの、馬子との関係は必ずしも良いものではなく、次第に意見が対立し始めると、馬子は東漢直駒(やまとのあやのあたいごま)に命じて天皇を暗殺した。

その後、推古天皇を即位させ、厩戸皇子(聖徳太子)と共同で執政を行った。この間、二人の娘を厩戸皇子、田村皇子(のちの舒明天皇)にそれぞれ嫁がせ、大王(天皇)家との血縁関係を強化していく。





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Posted by kojiro