国際連盟脱退 松岡洋右 1933年
松岡洋右ら日本全権団が、国際連盟の総会の場から退場した。
国際連盟は、1933(昭和8)年2月の臨時総会で、リットン調査団の報告に基づき、満州国は日本の傀儡国家であると認定し、日本が満州国の承認を撤回することを求める勧告案を採択した。
松岡洋右ら日本全権団は、これを不服とし勧告案を可決した総会の場から退場した。
この退場について松岡自身は「自分の失敗であった」としていたが、新聞をはじめ日本国内の世論は松岡を「栄光ある孤立」を選んだとして英雄扱いした。
このときから、日本は国際協調路線から大きくはずれ、孤立への道を進むことになった。国民の中にも排外的な思想が支配的になっていく。
同年3月、日本政府は正式に国際連盟からの脱退を通告した(1935年発効)。