大正政変 日本史上初めて、内閣が民衆の運動によって倒された出来事 1913年

2023年5月1日

1913(大正2)年2月、第一次護憲運動によって第三次桂太郎内閣が倒れた政変。

桂太郎 Wikipediaより

日露戦争後、藩閥・官僚勢力を後ろ盾とした長州出身の陸軍大将桂太郎と、衆議院第一党である立憲政友会総裁の西園寺公望とが交代で政権を担当し、ひとまず政局は安定した(桂園時代)。

しかし、1912(大正元)年財政事情の悪化のため第2次西園寺内閣が、陸軍の要求する2個師団増設を認めなかったことから、陸軍の抵抗を受けて総辞職し、代わって三度目の桂内閣が成立した。

これを藩閥勢力や陸軍の横暴とみなした立憲国民党の犬養毅、立憲政友会の尾崎行雄らの政党政治家や言論人たちは、「閥族打破・憲政擁護」を唱えて桂内閣打倒の運動を起こした(第一次護憲運動)。

そして1913年2月、国民党と政友会が国会で内閣不信任案を提出すると、民衆も国会前で激しい抗議行動を行った。桂はみずから政党(のちの立憲同志会)を結成して、議会の反対を抑えようとしたが成功せず、わずか53日で総辞職に追い込まれた。

これは日本史上初めて、内閣が民衆の運動によって倒された出来事であり、「大正政変」と呼ばれている。

民衆の政治的成長が背景にあり、元老・藩閥・軍部などの特権的勢力を攻撃する世論が高まって、いわゆる大正デモクラシーの状況を切り開く意義をもった。

明治・大正

Posted by kojiro