ハーグ密使事件 韓国の密使がハーグ平和会議への出席を拒否される 1907年
韓国が1907年6月、オランダ・ハーグで開かれた第2回万国平和会議で主権の回復を訴えるため、皇帝の委任状を持った密使を派遣したが、欧米列強に拒絶された事件。
韓国は、1905(明治38)年の第2次日韓協約で、日本に外交権を奪われ保護国とされた。
韓国の皇帝高宗は、これを日本の強圧によるもので無効であることを訴えようとしたが、日本がアメリカ・イギリス・ロシアとそれぞれ条約などを結び、朝鮮支配を了解させていたため、列強各国は密使の会議への参加要求を韓国に外交権のないことを理由に拒絶した。
この事件により日本は韓国皇帝を退位させ、第3次日韓協約を結ぶに至った(1907(明治40)年7月24日調印)。
この協約により、統監は韓国の内政指導権を完全に掌握し、秘密の覚書によって韓国軍の解散が決められた。