北清事変(義和団事件) 中国の外国人排斥運動 1900年

2023年5月5日

日清戦争後、列国の中国進出が加速する中、清国の宗教団体義和団が、「扶清滅洋(清朝を助け、西洋を滅ぼす)」を唱えて蜂起した外国人排斥運動。

義和団の檄文 Wikipediaより

義和団は1900(明治33)年6月、首都北京の列国公使館を包囲(義和団事件)、清国政府の西太后は当初鎮圧を図ったが、北京を占領されるにおよんで支持に転じ、列国に宣戦布告した。

これに対して、英・米・日・仏・露・独・伊・オーストリアの8か国は連合軍を組織し対抗、北京を奪還した。

清国は1901年、北京議定書に調印、巨額の賠償金の支払いと列強の華北駐兵権、および北京の公使館所在区域の治外法権などを承認する事態に追い込まれた。

この動乱で列強の帝国主義的中国分割が進み、中国の半植民地化が促進された。またロシアは、事件の波及を防止するという口実で満州を占領し、日露戦争の原因ともなった。

 

【補説】

義和団:弥勒信仰を基礎とする白蓮教の一派。まじないを唱えると災いを防ぐことができると教え、義和拳という拳法で弾丸も防げるとした。

 

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明治・大正

Posted by kojiro