民撰議院設立の建白書 板垣退助 1874年

2023年5月1日

1874(明治7)年、板垣退助・後藤象二郎・副島種臣らが藩閥専制を排し、民選議院の開設を求め、左院に提出した意見書。

民撰議院設立の建白書(序文)Wikipediaより

発足したばかりの明治新政府の要職は、薩摩・長州など雄藩出身の一部政治家によって占められていた。

征韓論がいれられずに辞職した板垣ら旧政府高官たちは、こうした状況を背景に建白書を提出した。

板垣らはこのなかで、政府の一部の指導者たちによる専制政治が国を危うくしていると攻撃し、官民一体となって国を立て直すためには、速やかに議会を設立して国民を政治に参加させるべきであると主張した。

この画期的な主張をきっかけに、民撰議院設立の問題をめぐる論争が新聞や雑誌上論議され、政府に不満をもつ士族を中心に、自由民権運動が進められるようになった。

 

明治・大正

Posted by kojiro