佐賀の乱 江藤新平 征韓・旧制度復古・攘夷 1874年
1874(明治7)年2月、佐賀県下の士族が政府に反対して蜂起した事件。
1873(明治6)年10月に征韓論をめぐる政治抗争に敗れた(明治6年の政変)江藤新平は下野し、民撰議院設立の建白書に名を連ねたあと、佐賀に帰国した。
当時の佐賀県は、強硬に征韓論を唱える征韓党や封建復活を主張する憂国党などがあり、反新政府の牙城であった。江藤は征韓党の党首となり、憂国党と結んで大規模な反乱を起こした。
征韓・旧制度復古・攘夷をスローガンとして抗戦したが、大久保利通を全権とする政府の鎮圧軍に制圧された。