昭和前半

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仏印とはフランス領インドシナ、現在のベトナムのこと。

北部仏印進駐

日中戦争で激しく戦う中国に、アメリカ、イギリスなどが大量の物資を送り、支援をしていた。4つあった物資の輸送ルートの中で最大のものが、フランスが植民地としてい ...

昭和前半

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1940(昭和15)年9月27日に締結された軍事同盟。

日本・ドイツ・イタリア三国は、ヨーロッパとアジアの「新秩序」における指導的地位を相互に認める同盟を結んだ。

これはアメリカを仮想敵国とする軍事同盟で、アメリカの強い反発 ...

昭和前半

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1939(昭和14)年9月1日、ドイツがポーランド侵攻を開始すると、9月3日、同国と同盟を結んでいたイギリス・フランスがただちにドイツに宣戦を布告し、第二次世界大戦が始まった。

第一次世界大戦の賠償金の支払いに苦しんでいたドイツは、19 ...

昭和前半

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1939(昭和14)年5月、満州国と外モンゴルの国境紛争から勃発した4か月あまりの戦闘。

この戦闘は局地戦でありながら、武力衝突の規模としては、事実上の国家間戦争といってもいいほどの本格的な近代戦だった。

日本軍は、ソ連の近 ...

昭和前半

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1936(昭和11)年、ソ連を中心とする国際共産主義運動への対抗を掲げて、日本とドイツは日独防共協定を結んだ。翌年イタリアがこれに参加し、日独伊三国防共協定が締結された。

こうして国際的孤立を深めていた3国は反ソ連の立場で結束し、枢軸陣 ...

昭和前半

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1937(昭和12)年7月の盧溝橋事件に始まり、当初の不拡大方針から増派に転じた日本に対し、中国も徹底抗戦で応じたため、その後8年に及ぶ全面戦争に発展した戦争。

盧溝橋での衝突から8月には上海でも戦闘が始まり(第2次上海事変)、戦火は南 ...

昭和前半

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日中戦争の発端となった事件。1937(昭和12)年7月7日夜、中国北京郊外の盧溝橋付近で夜間演習中の日本軍が銃撃を受け、これを不法として翌8日早暁中国軍を攻撃し、両軍の交戦に至った。

近衛文麿内閣(第1次)は当初、不拡大の方針を唱えたが ...

昭和前半

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陸軍の一部青年将校たちが、首都・東京の中心部を4日間にわたって占拠した事件。

1936(昭和11)年2月26日早朝、北一輝の思想的影響を受けていた皇道派の一部青年将校たちが、約1400名の兵を率いて首相官邸、警視庁などを襲い、斎藤実内大 ...

昭和前半

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1935(昭和10)年、美濃部達吉の天皇機関説が、国体に反する学説として軍部や国家主義団体などから激しく攻撃された。

天皇機関説とは、統治権の主体は法人としての国家であり、天皇は国家の最高機関として憲法の定めにしたがって統治権を行使する ...

昭和前半

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松岡洋右ら日本全権団が、国際連盟の総会の場から退場した。

国際連盟は、1933(昭和8)年2月の臨時総会で、リットン調査団の報告に基づき、満州国は日本の傀儡国家であると認定し、日本が満州国の承認を撤回することを求める勧告案を採択した。