ありそうでなかった「仏像年表」(国宝・重文)―京都・奈良を中心にー
日本に仏教が伝来した時期として二つの説がある。一つは538年説「元興寺伽藍縁起並流記資財帳」、他は552年説「日本書紀」で、どちらも百済の聖明王が仏像や仏具類 ...
簡潔「後三年の役」奥州清原氏の内紛 1087年
前九年の役の後に勃発した奥六郡の郡主清原氏の内紛を、源義家と藤原清衡が連合して平定した合戦。 前九年の役で安倍氏が滅亡し、清原氏の清原武則が出羽・陸奥国一帯を治 ...
神護寺雑感
神護寺を最初に訪ねたのは何年前のことだったろうか。季節はまだ肌寒さが残る3月頃だったように思う。山の冷たい空気を覚えている。 周山街道の「山城高尾」バス停から坂 ...
丁未の乱 587年 蘇我馬子が物部守屋を滅ぼした
飛鳥時代587年に、仏教の崇拝と皇位継承をめぐって崇仏派の大臣・蘇我馬子と排仏派の大連・物部守屋が争った内乱のこと。 用明天皇(聖徳太子の父)が亡くなったあと、 ...
白村江の戦い 663年
663年、百済救援のため出兵した白村江で日本・百済連合軍が唐・新羅連合軍と戦い、敗れた合戦。 7世紀の朝鮮半島は新羅・高句麗・百済の三国が並び立っていた。 65 ...
大化の改新 645年
645年、中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我氏を打倒して始めた政治改革。 当時、蘇我氏が大王(天皇)家をもしのぐ勢力であったため、645年、中大兄皇子は中臣鎌足、蘇我 ...
恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱 孝謙上皇・道鏡 764年
764年、恵美押勝(藤原仲麻呂)が孝謙上皇、道鏡らに対して起した反乱。乱は鎮圧され、孝謙上皇が称徳天皇として重祚する 橘奈良麻呂の乱を平定し政権を掌握した藤原仲 ...
藤原広嗣の乱 吉備真備・玄昉 740年
740年に大宰少弐藤原広嗣(藤原宇合=うまかいの子)が、吉備真備、玄昉を政権から除こうとして九州で起こした反乱。乱鎮定後、聖武天皇による遷都につながる。 長屋王 ...
蘇我馬子、崇峻天皇を暗殺 592年
592年、蘇我馬子が自身に反意を持つ崇峻天皇を暗殺した。 絶大な馬子の権勢を象徴する事件。 古来、暗殺されたと思われる天皇は何人かいるが、臣下によって暗殺された ...
壬申の乱 672年
672年、天智天皇の死後、弟の大海人皇子と息子の大友皇子が後継者の地位を争った古代最大の争乱。 当時は皇位継承について、天皇の子が第一位の継承者という決まりはな ...
