甲申事変  朝鮮のクーデター 1884年 天津条約

2023年5月1日

甲申事変

甲申事変とは、1884年12月4日から6日にかけて朝鮮で起こった独立党によるクーデターのこと。

19世紀半ば以降、欧米列強が東アジアに進出してくると、清を宗主国とする朝鮮も、日本と同じように開国か攘夷かの選択を迫られた。

支配層の中でも、金玉均、朴泳孝らを中心とする開化派=独立党が、明治維新をモデルとして朝鮮を開国し近代化を図ろうとしていた。

一方、このまま清の冊封下に留まって、伝統と秩序を守るべきだとする守旧派=事大党が政権を握り改革を阻み、両者は対立していた。

1884年8月、インドシナ問題をめぐる清仏戦争が勃発すると、開化派はこの状況を利用し、日本の援助を得て事大党政権打倒のクーデターを起こした。

日本軍も出動しこれを支援したが、清国軍に敗れ企ては失敗に終わった。これにより、日本の朝鮮進出は挫折し、朝鮮の清国依存が強まった。

 

天津条約 

1885(明治18)年、甲申事変後の朝鮮問題に関する日清間の条約。

伊藤博文と李鴻章が会談し、4か月以内に両国軍が朝鮮から撤退すること、軍事教官の派遣を停止すること、将来における朝鮮出兵の際には相互に事前通告することなどを定めた。

明治・大正

Posted by kojiro