永禄の政変 将軍足利義輝、三好三人衆に殺される
1565年5月19日、室町幕府第13代将軍の足利義輝が、京の二条御所で三好三人衆の軍勢から襲撃され殺害された事件。
首謀者である三好三人衆は、三好長逸、三好宗渭(のち政康)、岩成友通の3人のこと。畿内を実質的に統治し「最初の天下人」といわれた三好長慶の重臣たちである。三好家は、もともと管領を務める細川晴元の家臣だったが、三好長慶が継ぐと勢力を拡大し、晴元を追放して京都を実質支配した。対立関係にあった将軍足利義輝と武力衝突をくり返すが、1558年に和解が成立、長慶は義輝の臣下となった。両者は協調しながら室町幕府の再興に務めることになる。
義輝は将軍親政を目指し、全国諸大名との関係強化に努め、大名同士の争いの調停に尽力する。さらに守護職などへの任官を斡旋するなど懐柔策も積極的に行った。
その結果、足利家の権威は徐々に回復の兆しを見せはじめる。1564年に三好長慶が病気で亡くなると、その動きはさらに加速した。
この状況を危惧したのが、三好三人衆と松永久秀だった。彼らにとって将軍は傀儡であるのが望ましく、将軍親政を目指す義輝の存在が邪魔になったため、将軍弑逆を実行した。