明徳の乱 山名氏清の反乱 幕府権威の確立 1391年

2023年4月30日

1391年、山名氏清・満幸らが幕府に対して起こした反乱。乱の鎮圧後、幕府の権威が強固となった。

山名氏清 Wikipediaより

山名氏は新田氏一族で、南朝討伐の軍功により勢力を拡大した。1389年には11か国(66か国中)の守護を兼ねるようになっており、その実力は“六分の一衆”と呼ばれるほどに成長していた。

その権勢を警戒する将軍足利義満は、山名氏の勢力を削減する機会を窺っていた。1389年惣領時義が没すると、その子時熙と氏幸、同族の氏清・満幸との間に内紛が起こる。

この機に乗じて義満は内紛に介入、幕府に対して反乱を起こすように仕向ける。

挑発にかかった満幸は1391年、叔父氏清らとともに挙兵し京都に進出した。これに対し義満は大内・畠山・細川ら有力大名に追討を命じ、京都内野の戦いで山名氏の軍勢を破った。氏清は戦死、満幸は逃亡ののち討たれた。

乱後山名氏は但馬・伯耆の守護に転落し、幕府の権威が確立した。



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Posted by kojiro