血盟団事件 井上日召 1932年
井上日召率いる右翼の血盟団員が、1932(昭和7)年2月に前蔵相井上準之助、同年3月に三井合名会社理事長団琢磨を暗殺した事件。
犯人逮捕後、政財界要人20数名の暗殺計画が明らかになった。
この時代は、昭和金融恐慌、満州事変などをきっかけに、軍人や右翼による急進的な国家改造計画が急速に活発になっていた。
陸海軍の青年将校および右翼活動家は、日本の行き詰まりの原因が、財閥・政党などの支配層の無能と腐敗にあると考え、これらを打倒して軍中心の強力な内閣をつくり、内外政策の大転換を図ろうとしていた。
前年の1931(昭和6)年には陸軍青年将校のクーデター未遂事件が起きている。血盟団事件は、その2か月後の五・一五事件へとつながっていく。
【補説】
井上日召:茨城県大洗町を拠点として政治活動を行っていた日蓮宗の僧侶。国家革新を目指し、「一人一殺」を掲げる。