世界恐慌 ニューヨーク株式市場大暴落 1929年
1929年10月24日のニューヨーク株式市場の大暴落(暗黒の木曜日)に端を発して全ての産業を襲い、世界の資本主義国に波及した未曾有の大恐慌。
日本経済も大打撃を受け、深刻な恐慌状態に陥った。
日本は、金輸出解禁による金本位制(一国の貨幣価値=交換価値を金に裏付けられた形で金額を表すもの)を取って為替相場の安定と貿易の振興を図ろうとしていたため、世界恐慌の影響を受けて深刻な恐慌状態に陥った。
輸出が大きく減少し、金貨は大量に海外に流出して企業の操業短縮、倒産が相次いだ。さらに合理化による賃金引下げ、人員整理が行われ失業者は100万人を超えた。
このため労働争議が続発し、過激化した。また農村でも恐慌の影響は大きく、アメリカの経済破綻から生糸の需要が激減して養蚕農家が打撃を受けた。
さらに豊作飢饉と呼ばれる現象によって米価が暴落し、深刻な不況に陥った。このため、小作争議が頻発した。
浜口雄幸内閣は1931(昭和6)年、重要産業統制法を制定して指定産業での不況カルテルの結成を容認し、国際競争力の強化を図ったが、これが統制経済の先駆けとなった。
【補説1】
世界恐慌後、世界の主要国は3つのグループに分かれていった。
⓵英・米・仏など自国内や植民地に豊富な資源を持ち、経済に対して有効な政策を打ち出すことのできる「資本主義陣営」
②日・独・伊など植民地や資源に乏しく積極的な海外進出に活路を見出そうとする「全体主義陣営」
③ソ連のように計画経済によって恐慌の影響を受けていない「共産主義陣営」の3つである。
アメリカは、公共事業等で国民に仕事を与えるニューディール政策、イギリス・フランスは、多くの植民地を有するため同一通貨圏でのブロック経済政策をとったのに対し、日本・ドイツ・イタリアは、国土が小さく植民地を持たないため軍備を増強し海外進出を図り、それが第二次世界大戦の大きな誘因となった。
【補説2】
ニューディール政策
1929年に発生した世界恐慌を克服するために、ルーズベルト大統領が1933年から始めた政策。「ニューディール」とは日本語で「新規まきなおし」という。
主な具体策
①ドルと金を交換する「金本位制」を停止、政府が通貨を発行する「管理通貨制度」を導入し政府の統制力を強化した。
②農業調整法を制定し、農業生産量を政府が管理し、農作物の価格の上昇を狙った。
③「テネシー川流域開発公社(TVA)」を設立。テネシー川流域で地域開発を実施し、多数のダムを建設したほか、植林などの複合的な事業を展開した。これにより雇用の創出や地域の活性化、電力供給の安定化が実現した。
ブロック経済政策:1929年の世界恐慌後に、イギリスとフランスが植民地を「ブロック」として関税同盟を結び、第三国に対し高い関税を課すなどの関税障壁をつくり、さらには通商条約を破棄するなどして他のブロックへ需要が流れないようにすることで経済保護した政策。