平氏の都落ち 源義仲入京後、平氏大宰府へ 1183年

2023年4月30日

平清盛の死後、統制力を失った平氏は源(木曽)義仲の入京を許すと、京都を捨て九州・大宰府に逃れた。

源義仲 Wikipediaより

1181年、平清盛は反平氏勢力を完全に討滅するために、関東に進軍し源頼朝を討とうとするが、その直前に病にかかって死去した。清盛を失った平氏には、有能な後継者だった重盛もすでになく、一門を束ねる求心力を持った棟梁がいなくなった。

栄華を誇った平氏政権は、清盛という稀有な政治家に支えられていたのであり、制度的な根拠や磐石な体制が整っていたわけではなかった。

清盛の後を継いだ宗盛は凡庸で、源頼朝・義仲・義経など強力な武将が揃った源氏の進軍を前にして、平氏政権の命運は尽きようとしていた。

しかし、長きにわたって政治の中枢で重きをなしてきた平氏は、兵力・財力・政治的権限の総合力では、源氏を圧倒していた。

だが、それらの兵力や財力を駆使して、源氏の軍勢を討伐するだけの統率力が平氏に不足しており、平維盛率いる大軍が源義仲との倶利伽羅峠の戦い(1183年)で敗れると、平氏は安徳天皇と三種の神器を伴って都落ちし、大宰府に逃れた。

その後、平宗盛を惣領とする平氏軍は福原に拠点を移すが、義経と範頼が率いる源氏方の軍勢に、一の谷の戦い、屋島の戦いで連敗を重ねる。

そして遂に、1185年3月24日、壇ノ浦の戦いに敗れて平氏は滅亡した。

以仁王の令旨から始まり平氏滅亡の壇ノ浦の戦いで終わる内乱のことを「治承・寿永の乱」と言うが、この内乱によって平氏政権は倒れ、源頼朝を頭領とする本格的な武家政権である鎌倉幕府が成立することになる。






平安

Posted by kojiro