イギリス公使館焼打ち事件 攘夷実行 高杉晋作 1862年
1862(文久2)年12月、長州藩尊王攘夷派志士らの攘夷実行事件。御殿山事件とも呼ぶ。
長州藩の高杉晋作・久坂玄瑞・志道門多(井上馨)・伊藤俊輔(博文)らが、江戸品川の御殿山に建築中のイギリス公使館に侵入し、火薬を仕掛けて全焼させた。
1862年10月、勅使三条実美らは江戸に出向き幕府に攘夷の実行を促したところ、幕府は勅諚を受け入れ攘夷承認の意を示した。
一方で幕府は、英・米・仏・蘭による新たな公使館建設の要望を受容し、公使館の建設を開始していた。1858年の通商条約締結後、攘夷派による外国公使館員を狙った殺傷事件が多発しており、寺院を間借りした仮の公使館では安全が保てなくなっていた。
こうした優柔不断な幕府に早期の攘夷決行を決断させるために、高杉らはイギリス公使館の焼打ちを実行した。
これによって幕府は面目を失い、犯人が長州藩関係者との見当がついたにも拘らず、何ら処罰的な行動を起こそうとはしなかった。
幕府としても本心は江戸湾を一望に見渡せる御殿山という要地に外国の公館を建てることは望んでいなかったのかも知れない。