プチャーチン来航(長崎) 1853年
ペリーが浦賀を去ってわずか1か月後の1853(嘉永6)年7月18日、ロシアの海軍中将プチャーチンが4隻の軍艦を率いて長崎に来航した。プチャーチンの目的は、開国と通商、さらに千島・樺太の国境を決めることだった。
ロシアとの交渉では、ロシア側に具体的な成果を与えず、プチャーチンは翌年の1月8日に交渉をいったん打ち切って長崎を去った。
この後、プチャーチンは10月に下田に来航し、1854(安政1)年12月21日に日露和親条約が結ばれた。
この条約で、下田・函館以外に長崎も開港し、国境に関しても千島列島以南を日本領、ウルップ島以北をロシア領とし、樺太は両国人の雑居の地として国境を決めないこととした。
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