レザノフ来航(長崎) 日本、通商拒絶 1804年
ラクスマンの根室来航から12年後の1804(文化元)年の9月、ラクスマンに交付した信牌の写しとロシア皇帝アレクサンドル1世の親書を携えて、ロシア使節レザノフが長崎に来航した。
レザノフは翌年3月まで滞在して交渉を求めたが、幕府は親書を受理することなくロシア船に退去を命じた。
日本の通商拒絶に対して、報復としてレザノフの部下が、1806~07年に樺太・択捉などの日本人集落を襲撃したため、ロシアとの緊張が高まった。幕府はすべての蝦夷地を直轄地とし、蝦夷地の調査を行い、北方の警備を強化した。
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