ラクスマン来航(根室)欧米諸国による開国要求の最初 1792年
1792(寛政4)年10月20日、ロシアの使節ラクスマンが根室港に来航した。日本人漂流民・大黒屋光太夫ら3名の日本人の返還という名目で、国書を持参し日本に通商を求めてきた。
1792(寛政4)年は鎖国のただ中、松平定信の治世下である。10月20日、ロシアの使節ラクスマンが根室港に来航した。日本人漂流民・大黒屋光太夫ら3名の日本人を連れており、漂流民の返還という名目で、国書を持参し日本に通商を求めてきた。
公式使節のため、幕府が対応することとして翌年7月、松前で会談を行った。幕府はラクスマンに対し、長崎以外に異国船の入港は認められないとして、長崎入港の許可書(信牌)を与えただけで、ロシアの国書を受理しなかった。
ラクスマンは通商に向けての手がかりをつかんだとして、皇帝の指示を仰ぐべく帰国した。ラクスマン来航は、江戸幕府に対する欧米諸国による開国要求の最初のものであった。
大黒屋光太夫は、伊勢を拠点とした回船の船頭。江戸に向かう途中、駿河沖で遭難、太平洋を漂流し、千島列島のアムチトカ島に漂着したところをロシア人に救助された。その後ロシア本土に送られ、女帝エカテリーナ2世に謁見した。エカテリーナ2世は、南進政策の意思を示し、ラクスマンに命じて光太夫を日本に送り届け、併せて開国を要求した。
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