明和事件 尊王論者弾圧事件 1767年
1767(明和4)年、江戸幕府が、山県大弐とその門人藤井右門ら30余人を謀反の疑いで処罰した尊王論者弾圧事件。
儒学者で兵学者でもあった山県大弐が、その著書「柳子新論」などで尊王論を唱える一方、門人の藤井右門とともに甲府城、江戸城攻撃の軍略を論じていた。こうした軍学の講義や著作・言説が、幕府に謀反を企てているものとされ処罰された。
江戸時代の中期、宝暦に起きた初めての尊皇論者弾圧事件である宝暦事件の9年後に、再び起きた尊皇論者を弾圧する事件だった。
儒学者で兵学者でもあった山県大弐が、その著書「柳子新論」などで尊王論を唱える一方、門人の藤井右門とともに甲府城、江戸城攻撃の軍略を論じていた。こうした軍学の講義や著作・言説が、幕府に謀反を企てているものとされ処罰された。
江戸時代の中期、宝暦に起きた初めての尊皇論者弾圧事件である宝暦事件の9年後に、再び起きた尊皇論者を弾圧する事件だった。