明治・大正

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李朝末期の1894年(甲午の年)1月11日から翌95年3月29日にかけて、東学党を中心として起こった朝鮮の歴史上もっとも大規模な農民蜂起のこと。

東学党とは、西学(カトリック)に対抗して東洋の儒・仏・道教を根幹とする民衆宗教団体。

明治・大正

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1894(明治27)年、イギリスとの間で締結した通商条約。

領事裁判権(治外法権)の撤廃と関税自主権の一部回復に成功した。幕末の安政年間に江戸幕府が結んだ安政の五か国条約の一つ、日英修好通商条約(1858年)を改訂したもの。

明治・大正

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1891(明治24)年、古河鉱業足尾銅山(栃木県)の鉱毒が渡良瀬川流域の農漁業に深刻な被害をもたらした公害事件で、その後15年余りにわたって社会問題となった。

当時の銅山は明治維新以降、富国強兵・殖産興業に力を入れる政府にとっての貴重な ...

明治・大正

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1891(明治24)年5月 11日、来日したロシア皇太子ニコライ(のちの皇帝ニコライ2世)が、滋賀県大津において警備の巡査津田三蔵に斬られ負傷した事件。

その裁判をめぐって、政府側と大審院長児島惟謙との見解が対立、紛糾した。別名湖南事件 ...

明治・大正

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大日本帝国憲法草案審議のため1888(明治21)年に設置された天皇の諮問機関。

勅選による議長(初代伊藤博文)・副議長と元勲・練達の人からなる枢密顧問官などで構成され、憲法・皇室典範・条約・緊急勅令など国政に関する重要事項を審議した。「 ...

明治・大正

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大日本帝国憲法は、1889(明治22)年2月11日、欽定憲法として発布され、翌1890(明治23)年11月29日に施行された。

政府は、明治十四年の政変の際に憲法を制定する方針を定めて、伊藤博文らをヨーロッパに派遣し憲法調査に当たらせた ...

明治・大正

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1886(明治19)年から89年にかけて、後藤象二郎、星亨ら自由民権派が行った反政府統一運動。

政府は明治14年の政変で国会開設の勅諭を出し、同23年に国会を開くことを約束していた。

その後、板垣退助が自由党を、大隈重信が立 ...

明治・大正

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1886(明治19)年10月24日、イギリス船籍の貨物船ノルマントン号が横浜から神戸に向かう途中、紀州沖で座礁・沈没、日本人乗客25人全員が水死した事件。

ボートで脱出したのはドレーク船長以下乗組員だけで、日本人乗客は全員取り残された。 ...

明治・大正

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甲申事変

甲申事変とは、1884年12月4日から6日にかけて朝鮮で起こった独立党によるクーデターのこと。

19世紀半ば以降、欧米列強が東アジアに進出してくると、清を宗主国とする朝鮮も、日本と同じように開国か攘夷かの選択を迫ら ...

明治・大正

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1881(明治14)年10月、政府が大隈重信を罷免した政治的事件。政府の実権は伊藤博文が握っていた。

板垣退助らによる民撰議員設立の建白(明治7年)以来、自由民権論は徐々に高まり、全国的な広がりをみせていた。

1880(明治 ...