韓国併合条約 韓国における植民地支配始まる(韓国総督府)1910年

1910(明治43)年8月22日、日本が韓国を併合し、領土化した条約。
日露戦争の戦中から戦後にかけて、韓国との間で日韓議定書に始まり3次にわたる日韓協約を結んだ日本は、韓国の保護国化を進め、その外交や軍事という主権国家としての権限を次 ...
大逆事件 社会主義者逮捕(幸徳秋水・管野スガ)1910年

1910(明治43)年5月、第2次桂太郎内閣によって、幸徳秋水、管野スガらの社会主義者が明治天皇の暗殺を企んでいたという疑いをかけられ逮捕された事件。
幸徳秋水一派の宮下太吉・管野スガらが、天皇暗殺を計画し、長野県の山中で爆弾実験中を探 ...
ハーグ密使事件 韓国の密使がハーグ平和会議への出席を拒否される 1907年

韓国が1907年6月、オランダ・ハーグで開かれた第2回万国平和会議で主権の回復を訴えるため、皇帝の委任状を持った密使を派遣したが、欧米列強に拒絶された事件。
韓国は、1905(明治38)年の第2次日韓協約で、日本に外交権を奪われ保護国と ...
南満州鉄道株式会社(満鉄)設立 炭鉱の開発、製鉄所の建設 1906年

日露戦争後から第2次世界大戦中までの満州に対する日本の植民地経営に重要な役割を果した国策会社。
1906(明治39)年11月26日、資本金2億円で設立、本社は大連に置かれ初代総裁は後藤新平であった。
日露戦争後、ポーツマス条 ...
第二次日韓協約 韓国を保護国とする 1905年

日露戦争後の1905(明治38)年11月17日調印、韓国を保護国とした協約。
日本政府が韓国の外交権をはく奪、これを日本が掌握し、さらに統監府をおいて韓国の内政全般を日本政府が事実上支配することを認めさせたものである。
ソウ ...
日比谷焼打ち事件 ポーツマス条約に反対する民衆暴動 1905年

1905(明治38)年9月5日、日露講和条約(ポーツマス条約)に反対する民衆暴動。条約の調印日に起きた。
日露戦争は、20万人もの死傷者を出し、加えて莫大な戦費を費やした戦争だった。それでも戦争中は、相次ぐ戦勝の報道に多くの国民は快哉を ...
ポーツマス条約 (日露戦争講和条約) 賠償金の全く取れない講和条約 1905年

1905(明治38)年9月4日、アメリカのポーツマスで調印された日露戦争の講和条約。
日本は、日本海海戦の勝利を機にアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトに講和の斡旋を依頼した。この講和には、日米露3者に三様の事情が存在していた。 ...
日本海海戦 連合艦隊、ロシア・バルチック艦隊を迎撃 1905年

1905(明治38)年5月27日から翌日にかけて、東郷平八郎率いる連合艦隊が、ロシア・バルチック艦隊を対馬沖で迎撃し、日露戦争における日本の勝利を決定づけた海戦。
ロシアは開戦以来の劣勢を挽回するため、バルチック艦隊を喜望峰経由で極東に ...
奉天会戦 日露戦争中最大の地上戦 1905年

1905(明治38)年2月20日から3月10日にかけて、ロシアの拠点奉天付近で戦われた日露戦争中最大の地上戦。
日露両軍あわせて約60万に及ぶ将兵が、18日間にわたって激闘を繰り広げた世界陸上戦史上空前の大会戦であった。
開 ...
第一次日韓協約 韓国を保護国とする狙い 1904年

日露戦争開戦の半年後、1904(明治37)年8月22日に日本が大韓帝国(韓国)に認めさせた協約で、3次にわたる日韓協約の最初のもの。
日本政府が推薦する財政と外交に関する顧問を置くことを韓国政府に認めさせた協約。
また、外交 ...