江戸

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1657(明暦3)年1月18~19日、本郷丸山・本妙寺から出火し、江戸城本丸をはじめ江戸市街の6割を焼き、死者10万余人を出した火事。

当時の江戸の人口は約30万人だったという。大名屋敷も多く焼亡した。振袖火事、丸山火事ともいう。

江戸

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1651(慶安4)年、由井正雪、丸橋忠弥を首領とする浪人らが、江戸幕府を転覆しようとした陰謀事件。

戦国時代の気風がいまだ残る徳川家康から3代将軍家光治世までの間、幕府は武威・強権をもって諸大名ほかの勢力を抑えた。これを武断政治という。 ...

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1643(嘉永20)年3月、幕府が農民の担税能力維持を目的として、農民が田畑を売買することを禁止した法令。

当時、田畑の売買を通じて、農民の中の富裕層に土地が集まり、田畑を売った困窮農民は没落し、流民になる事態が起こっていた。こうした農 ...

江戸

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1637(慶長14)年、肥前島原地方に起こったキリシタンを中心とする6ヵ月間にわたる農民一揆。

この地方は、かつてのキリシタン大名・有馬晴信の旧領ということもあり、当時も密かにキリスト教を信仰する農民が多かった。

時の島原藩 ...

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⓵長崎

長崎は幕府の直轄領であり、江戸時代初期には朱印船貿易の拠点の一つだった。1641年以降は、貿易の相手がオランダと中国に限定された。オランダ人は出島、中国人は唐人町のみに居留が許され、幕府の厳しい監視の下で交易が行わ ...

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⓵朱印船貿易の時代

朱印船とは、海外渡航の許可証である朱印状をもった貿易船のことで、豊臣秀吉の時代から江戸時代初期まで活躍した。

朱印船の主な行先は、東南アジアの各地で、現在のフィリピン・ベトナム・カンボジア・ ...

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1.領主が領地ごとに賦課するもの

①年貢=本途物成(ほんともとなり)

田畑にかかる税。石高の40~50%を納めることが村全体の責任とされた。(四公六民、五公五民)

年貢の課税方法には、主に検見法と定 ...

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江戸時代初期には、朱印船貿易制度の崩壊とは別に、もう一つの問題があった。それは国内におけるキリシタンの増加である。

キリスト教は1549年にフランシスコ・ザビエルが来日して以来、西日本を中心に広まっていった。しかし、その教えが封建制にそ ...

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朱印状の交付は次第に特定の大名や幕府と関係の深い豪商にしか認められなくなっていく。

そのため、各地の大名や幕府の家臣の中には、朱印状を持たずに無断で貿易をする者が出てくるようになった。

また、1628年にはタイで朱印船がスペ ...

江戸

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朱印船とは、海外渡航の許可証である朱印状をもった貿易船のことで、豊臣秀吉の時代から江戸時代初期まで活躍した。

朱印船の主な行先は、東南アジアの各地で、現在のフィリピン・ベトナム・カンボジア・インドネシアなど。東南アジアにはオランダ・東イ ...