島原の乱 キリシタンを中心とする農民一揆 天草四郎 1637年

2023年4月30日

1637(慶長14)年、肥前島原地方に起こったキリシタンを中心とする6ヵ月間にわたる農民一揆。

天草四郎が使ったとされる旗印(天草切支丹館所蔵)Wikipediaより

この地方は、かつてのキリシタン大名・有馬晴信の旧領ということもあり、当時も密かにキリスト教を信仰する農民が多かった。

時の島原藩主、松倉氏の年貢の取り立ては、本来の石高を大幅に上回るものであった。また禁教令に伴うキリシタンの取締りにあたって、棄教を拒む者に対する仕打ちは苛烈を極めた。こうした状況に飢饉も重なり、ついに耐えかねた領民が代官を殺害する。この事件に呼応して、各地で次々に領民が蜂起する。一揆勢は松倉氏の居城である島原城に迫るが落城には至らなかった。

一揆の終盤において主戦場となったのは、一国一城令により既に廃城となっていた原城で、益田四郎時貞(天草四郎)を首領に約3万7千人が立て籠もった。この人数が多すぎたことで島原藩だけでは対応できなくなり、幕府が鎮圧に来ることになった。鎮圧軍は総勢12万もの軍勢によって、この鎮圧に当たっている。

およそ3ヶ月に及ぶ籠城戦の末、一揆勢は幕府・島原藩連合軍の前に敗れ、一揆は終息する。一揆勢は皆殺しにされた。幕府軍もまた、甚大な被害を被った。

一揆の後、藩主の松倉勝家は所領を一部没収されたうえ斬首となっている。1639(寛永16)年には第5次鎖国令によって、幕府はポルトガル船の国内入港を禁止し、通商を断った。幕府軍に武器弾薬を支援したオランダとは、以後も出島の商館を通じ交易を続けた。

江戸

Posted by kojiro