江戸

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1808(文化5)年、英軍艦フェートン号がオランダ商船を収奪する目的で、オランダ国旗を掲げ長崎港に侵入した事件。

当時長崎では、オランダの交易船が入港すると荷揚商品の取引が行われ、警備の兵士のほかに、多くの商人・町民たちが行き交い町が活 ...

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ラクスマンの根室来航から12年後の1804(文化元)年の9月、ラクスマンに交付した信牌の写しとロシア皇帝アレクサンドル1世の親書を携えて、ロシア使節レザノフが長崎に来航した。

レザノフは翌年3月まで滞在して交渉を求めたが、幕府は親書を受 ...

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1792(寛政4)年10月20日、ロシアの使節ラクスマンが根室港に来航した。日本人漂流民・大黒屋光太夫ら3名の日本人の返還という名目で、国書を持参し日本に通商を求めてきた。

1792(寛政4)年は鎖国のただ中、松平定信の治世下である。1 ...

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田沼意次の失脚後、代わって松平定信が老中に就任し、以後6年間にわたって幕政を担い、寛政の改革を断行した。①都市政策・人足寄場石川島に人足寄場を設け、軽犯罪者などに職業訓練を行い、彼らが独立できるように支援して治安の安定を図った。・七分積金令 ...

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1767(明和4)年、江戸幕府が、山県大弐とその門人藤井右門ら30余人を謀反の疑いで処罰した尊王論者弾圧事件。

儒学者で兵学者でもあった山県大弐が、その著書「柳子新論」などで尊王論を唱える一方、門人の藤井右門とともに甲府城、江戸城攻撃の ...

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田沼意次は、江戸時代中期、9代将軍徳川家重と10代家治の治世下で側用人と老中を兼任して約20年間幕政を主導した。

享保の改革は年貢収入を増大させる重農主義的な財政政策であった。一方、田沼意次の基本方針は年貢増徴だけでなく、民間の経済活動 ...

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宝暦事件とは、1758(宝暦8)年、9代将軍徳川家重の時代に、尊王論者の竹内式部が天皇や公家たちに尊王論を講義していることが摂関家の一条道香によって江戸幕府に密告され、竹内式部が京都を追放されることになった事件。日本史上初の尊王論者を ...

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江戸時代、8代将軍徳川吉宗が幕政建直しのために行った改革。1716年に始まり、その在職中(~1745年)に行われた。

⓵政治・経済的背景 

綱吉の元禄時代は、寺社や御殿の造営、さらには豪華奢侈の風により財政赤字を生みだした。 ...

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江戸幕府開府後およそ100年の18世紀初頭、6代将軍徳川家宣、7代家継の時代に行われた7年間の文治政治。将軍補佐を担った儒学者新井白石の政治。

白石は、以下のような政策を実行した。

⓵生類憐みの令の廃止

②海舶互 ...

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1669(寛文9)年、アイヌを実質支配していた松前藩に対し、シャクシャインがアイヌ諸氏族を糾合して起こした反乱のこと。

シャクシャインとは、現在の北海道日高地方を拠点とする集団を率いた人物である。

江戸幕府による幕藩体制が成 ...