Thumbnail of post image 108

平安

969年、右大臣の藤原師尹らが、源満仲の密告を利用して左大臣の源高明を追放した事件。藤原氏が起こした最後の他氏排斥の政変。 左大臣源高明(たかあきら)が娘婿・為 ...

Thumbnail of post image 167

平安

藤原純友が平安時代中期、朝廷に対し海賊の頭領として西国・瀬戸内で起こした反乱。平将門の乱と併せて承平天慶の乱と呼ばれる。 純友は当時の朝廷において権力の中枢を占 ...

Thumbnail of post image 063

平安

平将門の乱は所領を巡る一族の内紛を発端とするが、939(天慶2)年には常陸・下野・上野の国府を襲撃して反乱に拡大し、関東地方の大半を占領するに至り、将門自ら新皇 ...

Thumbnail of post image 115

平安

842年に藤原良房が伴健岑・橘逸勢を追放した事件。藤原北家が摂関政治体制をつくり上げる出発点となった。 中納言藤原良房は、皇太子恒貞親王を廃し、妹順子(じゅんし ...

Thumbnail of post image 157

奈良

奈良時代中期の757年、橘奈良麻呂らが藤原仲麻呂の打倒を企てたとして処罰された事件。 729年、藤原氏の陰謀によって長屋王が殺され、政権は名実ともに藤原氏のもと ...

Thumbnail of post image 118

奈良

729年2月、天武天皇の孫で高市皇子の第1皇子である長屋王が謀反の疑いで自殺させられた事件。 聖武天皇と夫人藤原光明子(のちの光明皇后)との間に生まれた基王(某 ...

Thumbnail of post image 111

飛鳥

645年、中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌足(後の藤原鎌足)らが蘇我家を滅ぼしたクーデター。 この時までに、蘇我氏は馬子、蝦夷、入鹿と3代にわたって大きな権勢 ...

Thumbnail of post image 138

飛鳥

643年、蘇我入鹿が政敵の山背大兄皇子を殺害すべく挙兵し、皇子のいる斑鳩宮を襲撃した。 襲われた皇子は戦いを避けて斑鳩寺に入り、家族とともに自害した。 山背大兄 ...

Thumbnail of post image 092

飛鳥

607年、聖徳太子は中国の文物・制度を摂取する目的で、小野妹子らを大使として隋に派遣した。 581年中国において隋による統一国家が実現し、東アジアの情勢が変化し ...

Thumbnail of post image 039

室町・織豊

1597(慶長2)年1月、文禄の役のあとに再び朝鮮半島で行われた戦役。豊臣秀吉の死後、全面撤退した。 第1回目の朝鮮出兵(文禄の役・1592年)のあと、明とのあ ...