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明治・大正

20世紀初頭のヨーロッパでは、ロシア・フランス・イギリスの三国協商側(連合国)とドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟側(同盟国)との対立が鮮明になった。 1 ...

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明治・大正

1914(大正3)年、海軍の高官たちが、ドイツのシーメンス会社などから軍艦などの購入に際し、多額の謝礼を受け取っていたとされる事件。 大正政変で辞職した桂太郎の ...

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明治・大正

1913(大正2)年2月、第一次護憲運動によって第三次桂太郎内閣が倒れた政変。 日露戦争後、藩閥・官僚勢力を後ろ盾とした長州出身の陸軍大将桂太郎と、衆議院第一党 ...

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明治・大正

1910(明治43)年8月22日、日本が韓国を併合し、領土化した条約。 日露戦争の戦中から戦後にかけて、韓国との間で日韓議定書に始まり3次にわたる日韓協約を結ん ...

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明治・大正

1910(明治43)年5月、第2次桂太郎内閣によって、幸徳秋水、管野スガらの社会主義者が明治天皇の暗殺を企んでいたという疑いをかけられ逮捕された事件。 幸徳秋水 ...

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明治・大正

韓国が1907年6月、オランダ・ハーグで開かれた第2回万国平和会議で主権の回復を訴えるため、皇帝の委任状を持った密使を派遣したが、欧米列強に拒絶された事件。 韓 ...

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明治・大正

日露戦争後から第2次世界大戦中までの満州に対する日本の植民地経営に重要な役割を果した国策会社。 1906(明治39)年11月26日、資本金2億円で設立、本社は大 ...

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明治・大正

日露戦争後の1905(明治38)年11月17日調印、韓国を保護国とした協約。 日本政府が韓国の外交権をはく奪、これを日本が掌握し、さらに統監府をおいて韓国の内政 ...

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明治・大正

1905(明治38)年9月5日、日露講和条約(ポーツマス条約)に反対する民衆暴動。条約の調印日に起きた。 日露戦争は、20万人もの死傷者を出し、加えて莫大な戦費 ...

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明治・大正

1905(明治38)年9月4日、アメリカのポーツマスで調印された日露戦争の講和条約。 日本は、日本海海戦の勝利を機にアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトに講和の ...