日本海海戦 連合艦隊、ロシア・バルチック艦隊を迎撃 1905年

2023年5月1日

1905(明治38)年5月27日から翌日にかけて、東郷平八郎率いる連合艦隊が、ロシア・バルチック艦隊を対馬沖で迎撃し、日露戦争における日本の勝利を決定づけた海戦。

旗艦三笠 東郷平八郎(中央) Wikipediaより

ロシアは開戦以来の劣勢を挽回するため、バルチック艦隊を喜望峰経由で極東に向けて派遣すべく1904(明治37)年10月バルト海を出港した。

200日を超える遠征の末、日本海対馬沖に達したとき、司令長官東郷平八郎率いる日本の連合艦隊に迎撃された。

連合艦隊は旗艦三笠以下108隻、バルチック艦隊は旗艦以下38隻。連合艦隊はバルチック艦隊の進路を圧する丁字戦法により、戦艦四隻を撃沈するなど2日間に渡って行われた戦闘でバルチック艦隊に壊滅的打撃を与えた。

連合艦隊の旗艦三笠の艦首には「皇国ノ興廃此ノ一戦ニアリ各員一層奮励努力セヨ」の信号旗が掲げられていた。

これを機に日本はアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領に仲裁を依頼し、ポーツマス講和条約が締結され日露戦争が終わった。

 

明治・大正

Posted by kojiro