西南戦争 不平士族の反乱 西郷隆盛 1877年
1877(明治10)年2月、鹿児島の士族が西郷隆盛を擁して起こした反政府反乱。
征韓論に敗れ下野した西郷らは、鹿児島に帰り士族組織として私学校を設立し子弟の教育にあたった。
当時の鹿児島は、政府の中央集権政策に反対する士族が中心となって、独自の経済・社会政策をすすめ、一種の独立国的士族支配体制が敷かれていた。さらには徳望の高い西郷を擁して、反政府主義の大きな拠点となっていた。
こうした鹿児島の情勢を警戒した政府は、鹿児島火薬局等にあった政府の武器、弾薬などを密かに大阪に移転しようとした。これに士族の怒りが爆発し、それまで自重していた西郷ももはやこの勢いを抑えることができず挙兵した。九州各地の反政府士族もこれに呼応決起した。
西郷軍は、熊本城にある熊本鎮台を攻撃したがその攻略に失敗、以後守勢に回った西郷軍は、日向、人吉、都城等を落とされ敗走を続けた。その間、多くの兵を失い軍は解散し、一部が西郷とともに鹿児島に帰って城山に籠った。
1877(明治10)年9月24日、政府軍総攻撃のなか西郷は幹部らとともに自決し、半年に及ぶ戦闘は終結した。
保守的不平士族の最大かつ最後の反政府反乱であった。