伊達政宗、慶長遣欧使節 支倉常長 1613年
1613(慶長18)年に仙台藩主伊達政宗が、メキシコを経由するスペインとの通商と宣教師の派遣を要請するため、スペイン国王とローマ教皇のもとに派遣した使節。
家臣支倉常長を正使、フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを副使としていた。
総勢約200名(内、使節は68名)の一行は、日本人として初めて太平洋を横断し、メキシコを経て1614年スペイン・マドリードに渡り、翌年秋ローマに到着した。
スペインでは1615年1月国王フェリペ3世に、ローマでは同年11月教皇パウルス5世にそれぞれ謁見し、正宗の書状を渡したが、政宗宛ての返書は得られなかった。
常長が不運だったのは、彼が両都市を訪れた頃、日本では1612年の禁教令に基づくキリスト教の弾圧が始まっていたことである。こうした日本の事情が伝えられるに従い、交渉の環境は厳しさを増し、常長の外交交渉は失敗に終わった。しかし、常長の業績は、日本人が初めて欧州に赴いて外交交渉をしたという画期的なものであった。
帰国(1620年)後の常長は、キリシタン禁令のため藩によって軟禁され、2年後の1622(元和8)年、失意のうちに死去した。