満州国建国 愛新覚羅溥儀 1933年
1904(明治37)年の日露戦争の勝利で日本は満州・遼東半島の租借権と、南満州鉄道の経営権を獲得していた。
同時に、鉄道の安全を守るために軍隊を置く、つまり鉄道守備のための軍隊駐屯権を得た。
満州からは石炭や鉄鉱石などが採れ、資源の乏しい日本にとって満州は重要な資源供給地であり、昭和金融恐慌等で頻出した貧困農民の受け皿としての場所でもあった。
さらにはロシアの南下を防ぐ国防のための防衛線と捉えられていた。こうして満州はのちに「日本の生命線」と言われることになる。
関東軍は、そうした満州全土を支配下に置くべく、柳条湖事件を引き起こし、制圧に乗り出していく。
1932(昭和7)年になると、関東軍は満州の主要地域を占領し、3月には清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀を執政として、満州国の建国を宣言させた。
犬養毅内閣は満州国を承認しなかったが、その後成立した斎藤実内閣は9月に満州国を承認するとともに、日満議定書に調印した。こうして、関東軍による満州支配の体制が完成した。
1933(昭和8)年、日本軍は華北に攻撃を進め、5月の停戦協定によって日本の満州国支配を中国側に事実上承認させた。
【補説】
日満議定書:満州国は、同国における日本の権益を確認し、日本軍の無条件駐屯を認めた。このほか、付属の秘密文書では、満州の交通機関の管理を日本に委託すること、関東軍司令官の推薦・同意に基づいて満州国政府の要職に日本人官吏を採用することなどが規定された。