日米安全保障条約 1951年
この条約により、独立後も日本国内にアメリカ軍が「極東の平和と安全」のために駐留を続け、日本の防衛に「寄与」することとされた。
サンフランシスコ平和条約の調印と同じ1951(昭和26)年9月8日、日米安全保障条約(安保条約)が調印された。
この条約に基づいて翌1952(昭和27)年2月には日米行政協定が締結され、日本は駐留軍に基地(施設・区域)を提供し、駐留費用を分担することになった。
1950(昭和25)年に勃発した朝鮮戦争で日本の戦略的価値を再認識したアメリカは、占領を終わらせて日本を西側陣営に早期に編入しようとする動きを加速させた。
アメリカのダレス外交顧問らは対日講和からソ連などを除外し(単独講和)、講和後も日本に駐留することなどを条件に準備を進めた。
第3次吉田茂内閣は、再軍備の負担を避けて経済復興に全力を注ぐためにも西側諸国のみとの講和によって独立を回復し、施設提供の見返りに独立後の安全保障をアメリカに依存する道を選択したのである。