バテレン追放令 1587年

2023年4月30日

1587年、豊臣秀吉が出した宣教師の追放令。九州平定後、筑前筥崎で発令した。

バテレン追放令 Wikipediaより

追放令は5カ条からなり、神国・仏教国の日本で、邪法キリスト教が説かれることは不適当であるから、宣教師は20日間以内に国外退去せよとしている。

ただし、あくまでもキリスト教の布教を防止する目的だったため、布教を行わない外国人商人の渡来は制限せずに、南蛮貿易は自由に行われた。

また、キリスト教への強制の改宗は禁止するものの、民衆個人が自分の意思でキリスト教を信仰することは自由とし、大名が信徒となるのも秀吉の許可があれば可能とした。

秀吉がこのような追放令を発布した背景として、以下のようなことが考えられる。

秀吉は、九州征伐の前からポルトガル宣教師との会見を通じて、宣教師たちがいざとなればキリシタン大名を動員できるほどの力を持っていることや、イエズス会がポルトガル本国と軍事的に結びついていることなどに気が付き、危惧を抱いていた。

また秀吉は九州征伐の際に、九州の大名たちがポルトガルから武器弾薬を輸入し、その代償として彼らに領地を与えていることや、多くの領民たちがキリシタンに改宗していることなどを目にする。これをこのまま放置しておくと、九州の大名たちが軍事的脅威となるだけでなく、領民たちがかつて多くの大名たちを悩ませた一向一揆のような強力な敵になりかねないと考えた。


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Posted by kojiro