三方ヶ原の戦い 武田信玄、徳川家康を撃破 1572年

2023年4月30日

1572年12月、武田信玄と徳川家康が遠江国三方ヶ原(静岡県浜松市)において戦った合戦。敗れた家康は、屈辱の敗走を強いられた。

三方ヶ原の戦い Wikipediaより

将軍足利義昭の織田信長討伐令に応える形で上洛を目ざす信玄は、1572年10月3日甲府を発し、信州伊那谷から二つの峠を越え遠江に侵入、掛川・二俣などの徳川方諸城を攻略した。

さらに信玄は同年12月22日、家康の居城浜松に迫るが素通りし、西へ向きを変え三方ヶ原台地に向かった。

これは時間のかかる城攻めを避けた信玄の作戦だったが、信玄の想定通り家康は同日夕刻、織田信長の援軍とともに城を出て三方ヶ原に布陣する武田軍に挑んだ。

しかし兵力、作戦ともに勝る武田軍は徳川軍を圧倒、家康は、わずかな供回りだけを連れて浜松城に逃げ帰った。この敗走は、家康の生涯においても最大の危機だったといわれている。

こうして家康に大打撃を与えた信玄は西上を続け、翌1573年三河に入ったが陣中で発病、同年4月甲府に戻る途中信州駒場で没した。

室町・織豊

Posted by kojiro