天文法華の乱 延暦寺宗徒による京都の日蓮宗寺院21寺を襲撃 1536年
1536年、延暦寺の宗徒が、南近江の守護六角定頼の支援を得て法華一揆を破り、京都の日蓮宗寺院21寺を襲撃破却した事件。
京都町衆を中心とする法華(日蓮)宗徒は、京都に乱入する一向一揆や土一揆に対抗して法華一揆を起こし、1532年には山科本願寺を焼き討ちした。その後、京都の町政を自治的に運営した。
そうした中、宗論で延暦寺の僧侶が、法華宗の一門徒に論破されるという事件が起こる。これを契機として、延暦寺は法華宗攻撃を決議する。また、法華一揆の自治運営の影響力が強まり、地子銭(税金)の不払いなどの問題も起こってくると管領細川晴元も法華宗攻撃を決意する。こうして晴元と延暦寺(山門)・六角定頼が法華一揆の宗徒の追放と焼き討ちに乗り出した。
法華宗は大敗し、日蓮宗寺院21寺はことごとく焼き払われ、数千人の信徒が殺害された。残る宗徒も京都を追放され、以降6年間、京都で法華(日蓮)宗は禁教となった。