足利尊氏、征夷大将軍となる 1338年

2023年4月30日

1338年、足利尊氏は光明天皇から征夷大将軍に任じられ、室町幕府が名実ともに成立した。

足利尊氏 Wikipediaより

翌年、後醍醐天皇が吉野で崩御すると、尊氏は後醍醐天皇の菩提を弔うため、当時帰依していた禅僧夢窓疎石の勧めに従って、京都嵐山に天龍寺の造営を開始した。尊氏と後醍醐天皇は不倶戴天の敵となったが、尊氏個人は、後醍醐天皇に対して終生尊崇の念を抱いていたといわれる。

なお、天竜寺の造営費を賄うため、元へ天龍寺船が派遣されている。

さらに諸国に安国寺と利生塔の建立を命じた。これは元弘以来の争乱による戦死者の冥福を祈るため、全国の国ごとに寺院1宇と塔婆1基を建立するよう定めたものである。

幕府の組織は、執権の代わりに管領(この頃は執事)を置いたほか、鎌倉幕府の仕組みを基本的に受け継ぎ、中央に評定衆・引付方・侍所・政所・問注所を置いた。地方も同様に守護を置くが、その力が非常に強大になり、自らの領地に根を下ろしていくようになる。

また鎌倉には尊氏の息子義詮、ついで基氏とその子孫を配して鎌倉公方とした。陸奥には奥州探題、出羽に羽州探題、九州に九州探題を設置した。

三代将軍義満の頃には、管領と侍所の長官とに任命される家が確定した。すなわち、三管領は将軍を補佐し、政務を統轄した、斯波・細川・畠山の各氏。四職は侍所の長官(所司)を交替で勤めた、山名・一色・赤松・京極の各氏である。



室町・織豊

Posted by kojiro