後醍醐天皇、吉野に移る 1336年

2023年4月30日

1336年11月、持明院統の光明天皇(北朝)へ神器を譲った大覚寺統の後醍醐天皇は、12月に京を脱出して吉野へ逃れた。

『太平記絵巻』山中をさまよう後醍醐天皇 Wikipediaより

後醍醐天皇は、光明天皇に譲った三種の神器は偽物であり自らが帯同したものが本物であると称して独自の朝廷(南朝)を樹立した。ここに約半世紀にわたる南北朝の争いが始まる。

後醍醐天皇は、この地で逆転の機会を伺い、各地に自分の皇子を送って北朝方に対抗しようとする。しかし、南朝方の有力武将である新田義貞・北畠顕家の二人が相次いで北朝方に敗れ、後ろ盾を失った。また南朝に従う公家も少なく孤立が深まるなかで、1339年義良親王(後村上天皇)に譲位、同年52歳で死去した。

「玉骨は縦ひ南山の苔に埋もるとも、魂魄は常に北闕の天を望まんと思ふ」

ちなみに、後醍醐天皇の陵墓は、北方の京都を望む北向きとなっている。そのため「北面の御陵」といわれ、北向きは天皇家の陵墓としては唯一のものである。

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Posted by kojiro