建武式目制定 1336年
武家政権の施政方針を示す「建武式目」を制定。
1336年6月、足利尊氏は数々の戦いを制し再び京都を制圧した。11月、尊氏は比叡山に逃れていた後醍醐天皇から三種の神器を取り上げ、光厳上皇の弟光明天皇を即位させた。
直後の11月7日、尊氏は「建武式目」17条を定め、政権の基本方針を示し、新たな武家政権の成立を宣言した。実質的には、このときをもって室町幕府の発足とする。
建武式目は尊氏の諮問に対し、鎌倉幕府の評定衆であった二階堂是円、玄恵ら幕府に近い公家や僧侶、武家の法曹家などが答申するという形式で定められた。
内容は、幕府政治を開始するに当たっての抽象的訓戒と事務処理の方法を示したもので、裁判などの規定は、「御成敗式目」を基本法典として、追加した条文を「建武以来追加」と称した。
すなわち、鎌倉幕府の御成敗式目が武家の基本法であるのに対して、建武式目は武家政権の施政方針を示すものであった。