関東大震災 1923年
1923(大正12)年9月1日午前11時58分に起きた、相模湾北西部を震源としたマグニチュード7.9の大地震。
地震と火災で東京・横浜の大部分が廃墟と化した。死者・行方不明者は10万人以上を数え、損失家屋は57万戸にのぼり、被害総額は60億円を超えた。
震災後に起きた朝鮮人・中国人に対する殺傷事件は、自然災害が人為的な殺傷行為を大規模に誘発した例として日本の災害史上、他に類を見ないものであった。流言により、多くの朝鮮人が殺傷された背景としては、日本の植民地支配に対する抵抗運動への恐怖心と、民族的な差別意識があったとみられる。
9月4日夜、亀戸警察署で警備に当たっていた軍隊によって社会主義者10人が殺害され、16日には憲兵により大杉栄と伊藤野枝、大杉の甥が殺害された。市民・警察・軍がともに例外的とは言い切れない規模で武力や暴力を行使したことが分かる。