シベリア出兵 ロシア革命政権の打倒を企図  1918年~22年

2023年5月1日

シベリア出兵は、1918年~22年まで行われた英・仏・米・日などによるロシア革命政権の打倒を企図した干渉戦争。

三国協商(ロシア・イギリス・フランス)の一角だったロシアで、1917年3月、革命が起こり帝政が倒れた。

同年11月にはレーニンを指導者とする世界最初の社会主義政権(ソビエト連邦)が誕生し、翌年、敵対する三国同盟側のドイツ・オーストリアと単独講和を結んだ。

レーニンの指導する革命軍は、資本主義体制を転覆させ議会政治・自由主義など西欧の価値観を否定する「過激派」として恐れられた。

社会主義に対する共通の嫌悪から、英・仏・米・日の帝国主義諸国はチェコ軍救援を名目としてシベリアに出兵することを決定した。

1918年3月、英仏軍のムルマンスク上陸に始まり、米・日は同年8月、シベリアに共同で出兵した。真のねらいは反革命軍(白軍)を支援して、ロシア革命軍(赤軍)を倒すことにあった。

日本はこの機会にシベリア進出を企て、国際協定で定められた1万2000をはるかに上まわる7万3000の大軍を派遣し、バイカル以東のシベリアを占領した。

しかし、ロシア革命軍(赤軍)が国内各地の反革命軍の鎮圧に成功したため、ロシア革命政権の打倒は不可能となり、英・仏・米連合軍は引揚げを開始した。

日本はそのまま駐兵したが、日本国内の反対、列国の非難などもあり1922年撤兵を宣言し、同年10月終了した。

足掛け8年、日本は戦費約10億円を費やし、死者は3000人を超えるという犠牲を払いながら、なんら得るところがなかったばかりか、ソビエト国民の敵意と列国の不信を買っただけであった。

明治・大正

Posted by kojiro