日清戦争 朝鮮支配をめぐる戦争 1894〜95年

2023年5月1日

1894〜95(明治27〜28)年、日本と清国が朝鮮支配をめぐって戦った戦争。

日本の歩兵隊 Wikipediaより

1894年、朝鮮で甲午農民戦争(東学党の乱)が起こると、朝鮮政府は清国に蜂起鎮圧のため出兵を求め、清国はこれに応じた。

日本も清国に対抗して出兵準備を進めた。天津条約に基づく清国の出兵通知が届くと、日本も出兵を通告し、陸軍を仁川に上陸させた。

日本は、清国との戦争を覚悟しながら、清国に、共同で朝鮮の内政改革を行うことを提案したが清国はこれを拒否、日本は単独で朝鮮政府に内政改革を要求し、なおも朝鮮に兵を留めた。両国軍は漢城(現ソウル)・牙山で対立し、ついに1894(明治27)年7月25日、日本海軍が豊島沖で清国艦隊を奇襲し、戦端が開かれた。8月1日、日本は清国に宣戦布告した。

日本の連合艦隊は、黄海海戦で清国の北洋艦隊を破り、陸軍もまた山県有朋・大山巌の指揮で満州・山東半島に進撃し、北京に迫ろうとした。清国は和平を求め、日本の勝利となった。

【補説】

1、清国は、2隻の東アジア最大の軍艦を備え、1880年代後半から軍事力に自信をつけていた。清国は朝鮮を属国と見ており、日本が朝鮮に積極的に介入することを清国が認める気はないことは予想されていた。従って、日本が朝鮮の内政改革を要求することは、清国が一方的に屈服しない限り、日清開戦を意味した。

2、戦争中の対朝鮮政策:日清開戦前から日本は朝鮮に対し、清との宗属関係を破棄することなどを要求し(7月20日)、それが受け入れられないと日本軍は朝鮮を軍事的に支配した(7月23日)。戦争が始まると、日本は軍の移動に便利なように交通・通信の整備をすることとし、朝鮮と攻守同盟を結んだ。こうして日本軍は物資・兵員の輸送や食料について便宜を与えられた。

明治・大正

Posted by kojiro