日英通商航海条約調印 治外法権の撤廃に成功 1894年
1894(明治27)年、イギリスとの間で締結した通商条約。
領事裁判権(治外法権)の撤廃と関税自主権の一部回復に成功した。幕末の安政年間に江戸幕府が結んだ安政の五か国条約の一つ、日英修好通商条約(1858年)を改訂したもの。
日本政府は、欧米諸国と対等の立場に立つため、幕末以来の不平等条約の改正を急いでいた。しかし欧米諸国は近代的諸制度を整えていない日本に対して、なかなか条約改正に応じようとしなかった。
1878年寺島宗則外務卿のときから始まった改正交渉は、あとを継いだ井上馨外務卿(のちの外相)、大隈重信外相、青木周蔵外相を経てもなお国内からの反対もあり、難航していた。
その後、イギリスは東アジアにおけるロシアの勢力拡張に警戒心を強め、近代化を進めつつあった日本との条約改正に応じるようになった。
第2次伊藤博文内閣の外相に就任した陸奥宗光は、駐英公使青木周蔵に交渉を進めさせ、1894(明治27)年7月16日、条約の調印に成功した(5年後発効)。
その後、他の欧米諸国とも同様の条約を結び、明治初年以来懸案の条約改正交渉に成功し、列強と対等の国際的地位にたった。
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