坂下門外の変 安藤信正 尊攘派浪士による襲撃 1862年
1862(文久2)年1月15日、江戸城坂下門外で老中首座の安藤信正が、6人の尊攘派浪士に襲われて負傷した事件。
井伊直弼の死後、幕政を担った安藤信正は公武合体を進め、孝明天皇の妹和宮を将軍家茂に嫁がせる、いわゆる和宮降嫁を実現させた。これは、日米修好通商条約の調印と、紀伊家の徳川慶福(のちの家茂)の将軍継嗣決定などにより悪化した朝廷との関係を修復し、幕府の権威を回復すると同時に、朝廷から人質を取る策でもあった。
幕府は、攘夷を要求する孝明天皇に対して、公武合体の暁には「鎖国に戻す」という説明をしており、それに期待を示した孝明天皇は和宮降嫁に勅許を与えたのである。
しかし、天皇を動かして攘夷の実現を迫る各地の尊攘派の志士たちは、この政略結婚を幕府の延命策と受取り、激しい反発を続けた。
そして、大橋訥庵らを中心とする宇都宮藩士、水戸藩士らは、坂下門外で登城する安藤を襲い負傷させた。襲撃者6人は斬殺され、安藤はまもなく老中を辞任した。