正徳の治・新井白石の登用
江戸幕府開府後およそ100年の18世紀初頭、6代将軍徳川家宣、7代家継の時代に行われた7年間の文治政治。将軍補佐を担った儒学者新井白石の政治。
白石は、以下のような政策を実行した。
⓵生類憐みの令の廃止
②海舶互市新例
海外貿易によって流出する金や銀の量を抑えるために年間の取引価格は銀3000貫に制限し、さらに貿易船の来航数を30隻までに減らす。さらに制限した銀の代わりとして国内製品の輸出量を増やすという方針。
③正徳金銀の鋳造
元禄・宝永期(1688年―1711年)に金銀貨の品位を低下させて通貨量の増大を図ったため、インフレが進み、物価は上昇して、通貨に対する信用が失われた。これを是正するために、金銀の品位を元に戻した。
④閑院宮家の創設
皇統継続のために、世襲親王家としての新たな宮家を創設した。
⑤朝鮮通信使の待遇簡素化
当時朝鮮通信使の日本側の代表である将軍は『日本国大君』と書かれていたが、これを『日本国王』に改めた。大君とは朝鮮では国王の息子という意味だったためである。
さらに朝鮮通信使の接待費用をそれまでの100万両から60万両に減額した。財政再建の一環。
⑥勘定吟味役の復活
幕府の役人の汚職や不正を監視させた。
新井白石の政治は正徳の治と称され、それまでの武断政治を退け文治政治を行った。儒教道徳に基づく政治を理想とした白石は、大赦により罪人を釈放し、賄賂が横行する腐敗政治を改め、公正な裁判によって多数の庶民を冤罪から救った。
また、学者としては、合理性と実証性を重んじ、歴史学・地理学・国語学など多方面に才能を発揮した。
代表的な著書に、歴史書『読史余論』、自叙伝『折たく柴の記』、ほかに、外国の事情について記した『西洋紀聞』など多数あり、高い評価がされている。
白石の格言
「才あるものは徳あらず、徳あるものは才あらず、真材まことに得がたし」(「折たく柴の記」)