シャクシャインの戦い アイヌ民族の反乱 1669年
1669(寛文9)年、アイヌを実質支配していた松前藩に対し、シャクシャインがアイヌ諸氏族を糾合して起こした反乱のこと。
シャクシャインとは、現在の北海道日高地方を拠点とする集団を率いた人物である。
江戸幕府による幕藩体制が成立する以前、アイヌは現在の東北地方まで自由に交易に訪れ、蝦夷地の獣皮・鮭・鷹羽・昆布などと鉄器、米、漆器などを交換していた。ところが幕藩体制を確立した幕府は、アイヌとの交易の独占権を松前藩に与えた。松前藩は、商場知行制を設けアイヌの人々の交易相手を各商場の知行主たる松前家臣に限定した。これによりアイヌの人々は自由な交易を封じられると同時に、交換比率などで不利な条件を強いられることになった。これに反発するアイヌの人々に対して松前藩は、子どもを人質に取って脅すなどの強硬策を実施したため、和人に対するアイヌの人々の不満は次第に大きくなっていった。
こうした中、シャクシャインは蝦夷地各地のアイヌの人々に対し松前藩への蜂起を呼びかけ、多くのアイヌ民族がそれに呼応した。そして1669年、アイヌ軍は一斉蜂起し交易船の襲撃などを行った。
2年にわたる戦闘の末、アイヌ軍は松前藩に鎮圧された。乱後、松前藩は蝦夷地におけるアイヌ交易の絶対的な主導権を握り、アイヌの人々に対して七ヵ条の起請文によって服従を誓わせた。
これにより、松前藩のアイヌに対する経済的・政治的支配は強化されたが、一方ではアイヌの人々にとって不利な和人製品との交易レートについて緩和するなど、融和策も行われている。